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承陽塔(三重の塔)
 
 
 
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  ●白華山法光寺

 今から700余年前、すなわち鎌倉時代に当時の執権最明寺入道時頼公がこの地方を旅した時、美しい名久井岳を見てこの山奥まで登りました。
  帰途中腹のある寺に一晩の宿を頼みましたが断られ、やむなく山奥の 別の庵寺に宿を求めました。庵寺の玉峰捐城和尚はありあわせの品で心から暖かいもてなしをしました。時頼公は庵主の人柄に深く感激し翌朝自分の持っていた扇子の表に「壱千石名久井通り右永代可令知行也」と書き寝室に置いて下山しました。
  また、扇子の裏には時頼公は「水結ぶ名久井が岳を眺むれば海より出でて山に入る月」最明寺入道時頼花押と一首詠んでおります。
  翌年鎌倉の時頼公から使者が参り、世話になった庵寺に七堂伽藍経堂を立派に建て白華法光寺としました。
  開基は北条時頼公、開山は当時の庵主捐城和尚、山号は門の下の蓮の池の白蓮華に由来して「白華山」です。
  明治年間火災により焼失し、再建しました。昭和24年三重の塔(承陽塔)を建立し曹洞宗の開祖道元禅師の御霊骨を奉安しております。
  昭和32年山内老松、老杉などの幽玄の地として青森県立自然公園に指定されました。また現在の法光寺本堂、研修道場および鐘楼は昭和58年に新築しました。

(法光寺パンフレットより)

 承陽塔(三重の塔)

 現存する三重塔の規模においては、日本一大きい三重塔である。三重塔の一階には、曹洞宗の開祖道元襌師の御霊骨を祀り、二階、三階には前田道六作の五百羅漢五百四十一体を安置している。
  正面の御尊像が御開山道元襌師、左奥には明治時代の傑僧、西有穆山襌師(法光寺三十世住職)の像(明治時代に大本山永平寺(福井県)より法光寺へ道元禅師の分骨に尽くす)の像が安置されている。

  塔は、襌師の発願によりその意志を継ぎ現住職三十七世活眼大典和尚の代に建立されたものである。
  当時の設計に基づき、高さ106尺(約33m)、幅26尺4寸(約8m)四方、昭和24年6月29日に竣工しました。
 千本松 爺杉

 その昔、千本松を植樹する際、「般若心経」を唱えながら千本の松を植えたものである。大東亜戦争の時、献木、供木し、三重の塔建立の用材のために伐採し、今日ある松はその名残である。昭和58年、日本の名松百選に選定 青森県天然記念物  樹齢約1000年、周囲8メートル
  青森県天然記念物(昭和33年)
 出合坂(出逢坂)

  時頼公が下山の途中庵主に出逢い庵主は「朝食のご飯がないので托鉢をしての帰りです。どうぞいま一度寺に…」とねんごろに帰山をすすめたが、時頼公は好意を感謝し別れました。いまの「出合坂」地名の起りです。

 ●南部利康霊屋

 南部27代藩主利直公が四男である利康の死を悼み、1632年に創建した方二間、単層入母屋造り、コケラ葺きの桃山様式の華麗な建造物である

 利康は27代利直の四男で、幼名を申(さる)千代といいました。利康が寛永8年、24才の若さで世を去ったことを受け、利直がこれをいたみ、翌9年(1632)三戸郷中1ヶ年の収納高をあてこの霊屋を創建しました。この霊屋は桃山様式の華麗な建物で、方二間、単層入母造り、鱗ぶき、建物の外廻り内部とも極彩色の絵で飾られています。
  昭和42年から3年にかけ外回りの大修理をし覆堂を改築しましたが、それによって分かったことは、用材は全て木曾産の檜であり、しかも最高級の用材ばかりが選ばれていたことです。領内の鹿角郡に金山が発見され、南部家の財力が最も豊かな時でありましたので、金をあかしてこの用材を求めたことが窺われます。
  昭和28年11月14日、国の重要文化財に指定されました。

 ●南部利直霊屋
 この霊屋は、雄大な桃山遺風とともに、室町時代末期の面影をも残している江戸時代初期様式による典型的なものと謂われています。 方3.21m、宝形造り、柿葺で、頂上には路盤と宝珠を置き、南面して建てられています。 寛永9年8月18日、江戸桜田邸で逝去し三戸聖寿寺(現三光寺境内)に葬られました。
  昭和48年12月3日、県重宝に指定され、同49年復元修理が行われました。
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