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  ●根城ものがたり

 光行は南部家の始祖―つまり総本家だと言われる人です。 甲斐の国の南部の荘に住んでいたので、代々南部を名乗っています。
  光行とその子孫は、三戸に城を築き、代々の居城とします。 これが「三戸南部家」です。

 光行は三戸に移り、新しい領地を支配するにあたり、三男の実長に甲斐の旧領を譲りました。 父と兄が新しい領地である北奥羽地方を治めることになったので、甲斐の領地は分家の三男が引き受けることになったのです。 実長は甲州巨摩郡波木井・御牧・飯野の三庄を領し、波木井殿とも呼ばれていました。 この実長が、「根城南部家」の祖となる人で、それから4代目の師行が根城に城を築きました。 師行は実は三戸南部家4代政光の弟・政行の子です。
 三戸南部家は祖先の光行以来、鎌倉幕府に仕えていました。 鎌倉幕府が倒されたとき、三戸南部の10代目の茂時は幕府の執権・北条高時に仕えていました。

 そして三戸地方の領地は、弟の信長を派遣し治めさせていました。 やがて元弘三年(1333)には、楠木正成新田義貞等の挙兵により、北条一族は戦いに敗れ、その一族170余名は鎌倉の東勝寺で最期を遂げました。 この時、三戸南部の10代茂時も、藤沢の遊行寺に逃れ、自害した、と言われています。


 その際、三戸南部と根城南部の立場は、鎌倉幕府側と倒幕側とに分かれています。この対立の関係は、やがて訪れる南北朝廷対立の時代にも、そのまま持ち越されることになります。

 南北朝廷の対立は元中9年(1392)、吉野の南朝方の後亀山天皇が陸奥の国から京都に帰られ、三種の神器を継承した北朝方の足利将軍の天下になり、南朝方の武将たちは、皆それに従うことになります。

 けれども根城南部家は、それも潔しとしませんでした。 最後には本家の三戸南部13代の守行の説得と取りなしで、根城を定住の地とすることが認められるようになります。 名利に走り、領地をかすめ取ることに明け暮れる武将たちの多かった時代に「南部勤皇五世」の生き方は、正に特異なものでした。

 一族を挙げ、先祖の教えを守り、忠節を守り続けた事績は、ひときわ光り輝くものがありました。  三戸南部家は、鎌倉幕府の滅亡で一旦勢力が衰えました。 その後、足利氏の室町幕府成立でこれに仕え、その勢力を再び回復します。 三戸南部が勢力を増すと、根城南部は衰えます。 そして動乱の続く時代の流れを、この二つの南部家、つまり本家と分家が助けたり助けられたりして、存続してゆくことになります。

「根城ものがたり」より

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